Category Archives: グスク(ネコ)

【バードル図鑑】グスク

2016-06-01(水)

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コトリ工房の庭に毎日遊びに来ていた猫のグスク。
名付け親はきぢ。「お城(沖縄ではグスクという)のように、気品がありお行儀がいいノラネコ」という意味が込められている。

ご飯もらえるかわらかいないのに、ドアの前で姿勢良く目をつぶて待つグスク。縁側に座り、開いた窓の隙間から部屋の中をじっと除くグスク。

いつしか、このノラネコさんと深いところで繋がっていたのです。
2016年4月13日、彼女はこの世にさよならをしました。
大好きなグスク。庭と家の中には大きな境界線があったけれど、心の境界線を軽々と超えてこちらに飛び込んできてくれました。

ノラネコで、大人になって数年生きることができるができるネコはどのくらいいるのだろう?と考えた時、グスクと一緒にいられることの奇跡に、いつだって涙が出てきました。

グスクドールはグスクがなくなってちょうど一ヶ月後に完成しました。

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グスクのお話

グスクの1日

2016-05-13(金)

グスクドールが本日、完成ました。

グスクの魂入っているかな?

ドアの前で

ドアの前で待っている

朝、勝手口のドアを開けると、グスクのしっぽと背中が横切る。       

縁側に座る

縁側に座る

縁側でお昼寝していたね。磨りガラスに映るグスクのシュルエットがなんとも嬉しくて。

お水はたくさん飲みます

お水はたくさん飲みます

お水、シーバ、野菜の煮物(薄味)、ツナ缶ちょっと、鶏皮はきぢとはんぶんこ・・・。

グスクエントランス

グスクエントランス

「グスクいないかな?」って探すと、涼しい顔でここから見下ろしていたね。

木の板の上

木の板の上

涼しい場所を知っています。

那覇の街を見渡す

那覇の街を見渡す

グスク、私とあなたは同じ景色を見ていたのかな?
グスクがいつも見ていた景色を見たいよ。

風が気持ちいい

2016-04-29(金)

お昼寝するグスク

お昼寝するグスク

グスクがこちらの世界を去って2週間が過ぎた。

今日はほどよいお日様と心地いい風。

私はその後、京都に漢方を勉強しに行ったり、個展の準備を再開したり、いつもの毎日が戻ってきた。

風が気持ちいいと感じられるって幸せなことなんだね。

どんなにどんよりした日々を送っていたとしても、人はいつか回復できる。

グスク物語5

2016-04-21(木)

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<グスクと見つめ合う:きぢ撮影>

グスクがいなくなって1週間が過ぎた。
グスクがいない世界を少しずつ受け入れ始めた。
庭に出れば「ここにグスクはよくいたな」って思い出すけれど、今は静かな気持ち。
子どもの頃、たくさん泣いて、疲れて眠くなって、そしてなにかいらないものが外に出て行った感じによく似ている。今回もたくさん泣いたもの。
大人気ない私でよかったと思う。

沖縄ではすっかり隠遁生活を送っている私。
時計もカレンダーもほとんど見ずに、眠くなったら眠り、食べたくなったら食べて、植物たちを観察し、動物たちのお世話をし、鳥の声を聴き、夕日を眺めて、きぢが帰ってくるまでの時間を過ごす。
だからノラネコのグスクの生活リズムに共感して、まるで地球に暮らす仲間のような絆が生まれたのかもしれない。世間の多くの人たちにはさほど共感することもないのだけど、マイペースに自由気ままに生きているグスクとは、どこかで心が通じている気がしてたんだ。
だから仲間が一人消えた今、こんなにも寂しい。

それでも毎日は続いていくから、私も毎日を続けていく。
動物たちと、植物と、少しの人たちと過ごすかけがえのない毎日。
グラの声が聞こえてくるよ。
「もう魂のことわかったはずでしょ?絆はずっとずっと続くのよ」って。
グラ、グスク、いつでもあなたちを感じているよ。

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おいでグスク(2013年4月)

那覇の街を眺めるグスク(2014年8月)

那覇の街を眺めるグスク(2014年8月)

膝の上にのるのも好きだったね(2015年2月)

膝の上にのるのも好きだったね(2016年2月)

グスク物語4

2016-04-18(月)

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<なでなでが大好きになったグスク>

グスクがいなくなって5日。
昨晩もグスクが夢に出てきた。私はグスクにごはんを一生懸命にあげていた。

グスクが最期の場所に選んだのは、ふかっとしたツタのベッド。家の壁の方を向いて横になっていた。家の中のそのすぐそばで私も寝ていた。そこにいるとは気がつかずに。

その場所を毎日、眺めている。一体、グスクはこの場所にいつ移動してきたのか、なんでいつものように塀を越えて庭に来なかったのか、雨は冷たくなかったのかな、なんてとめども無い思いが駆け巡る。

タイミングによっては、グスクのこと助けられたのかな、まだ生きられたのかな。
グスクにとってのその時が来ることは、きっと誰もコントロールできることじゃない。
動物も人も、外からどう見えようとベストなタイミングでこの世界を離れる。
それなのに、私は自分が何とかできたんじゃないかなんて時々思ってしまう。

その存在全てを尊重する、ましてや生きものが与えられた「命」の時間はそれぞれだ。
自分のちっぽけなエゴを越えて、命の源と繋がりたい。

グスク物語3

2016-04-17(日)

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洗濯をしているところを屋根から見守るグスク

グスクがいなくなって4日目。
夢の中にグスクが出てきた。静かにそこに座っているグスク。
表情とか細かいことは見えないんだけど、存在感がずっしりと伝わってくるシュルエット。
目が覚めて、きぢに「グスクが夢に出てきた」って言うと、きぢも「実はぼくも」って。
グスクはそろそろあちらの世界に到着して落ち着いた頃だろうか。

生きているグスクに最後に会ったのは、私が東京に出発する日。
最近、皮膚の状態が良くなくて、ノミがいた。多分ノミのフンであろう黒いものがグスクの毛の根元を覆っていた。ノミ取りコームで毛をとかす。ここ数ヶ月、グスクはどんなに体を触っても抵抗することがない。
背中にそっと手を触れただけで嫌がていたのに、今では体を摺り寄せてくるほどになっていた。体はだいぶやせて、お尻や腰のあたりは肉がほとんどない感じ。ご飯を毎日食べているのに太れなくてきぢみたい。

前日に「明日もノミとりするから、できたら朝会いに来てね」というと、旅の日の朝、ちゃんと来てくれた。毛をとかし、皮膚をマッサージし、タオルで毛を拭いた。グスクは静かに身を任せてくれたんだ。「火曜日まで東京に行くから元気で待っていてね、きぢがご飯くれるから食べに来てね」って言い残し、グスクと別れたのが最後。

旅の間も、会う人会う人に、ネコのノミ撮りのアドバイスをもらっていた。
ノミとりの薬を調べたり、帰ったら病院に連れて行こうかとも考えた。

グスクはいつも、家の中に入りたそうだったんだ。
侵入2回、そして一度だけ2月にグスクを家に招いたことがあった。
ドアを開けたら覗いてくるから、「グスク、どうぞ」ってドアを開けたままにすると、静かにそーっと入ってきて入り口のところで昼寝していた。

そんなグスクを見ていると「グスクもこの家の子になりたいのかな?」とか思って、家の中で一緒に暮らせたらいいのにって真剣に考えることもあったんだ。

でもグスクは自由なノラネコ。グスクが来たい時にだけ来て、この庭でくつろいだり養生できるようにするのがいいんだろうね。

世の中にはノラネコに餌をあげるのを反対の人もたくさんいる。
私もそういう人たちの意見を聞くとなるほどねって思うこともあるし、ずっと心は揺れていたよ。飼うか、かまわないか。
でもね、どちらもできなかったんだよ。
生ゴミを食べるグスクを見ているのは胸が痛んだし、痩せてフラフラのグスクを放っておけなかった。

グスク物語2

2016-04-16(土)

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<鍋より小さな身体のグスク、心は大きいんだ>

グスクがいなくなって3日目。
夜中何度も目覚めてしまう。そして目が覚めれば「グスクもういない」って真っ暗な気持ちになる。あまりにもグスクのことばかり思いでしてしまうから、「ハニーサックル」を飲み始めた。目の前には、グリモコニーときぢがいるのに、私は今に生きていない。

グスク物語の続き。
去年の夏、グスクが庭に2週間くらい現れなくて、もう死んじゃったのかもしれないってかってに絶望して、グスクが再び現れたあの時から、私たちの関係は少しずつ変わり始めた。
グスクのノラネコとしての自由を見守りつつ、私がグスクにしてあげられることは最大限したいなと思った。

グスクにご飯をあげるのも最初の頃は少し「いいのかな?」って気が引けていた。
全部をめんどう見られるわけじゃないのに、中途半端に手を出して後でグスクが困ることになったらどうしようとか。そして誰のものでもないグスクを自分のものみたいに思ってしまったらどうしようとか。

でもこの人生で一回きりの出会いを後悔したくなかったから、思いっきり向き合おうと思ったんだ。

と言っても、グスクの飲み水を毎日変えてあげることや、グスクの体調を見て、ご飯のメニューを考えることとかとてもシンプルなことなんだけど。
今年になると沖縄の冬も例年になくかなり寒くなったから、グスクを家にあげられない分(小鳥さんたちがいるからね)、amazonダンボールを縁側に置いてグスクの避難場所を作った。
中にはタオルとクッションを入れて寝心地良くね。夜や寒い日中は湯たんぽを置いた。
そしたら居心地が良かったのか、グスクはこの冬はずっとそこで過ごしていたんだ。
ご飯以外はずっとダンボールハウスで寝ている日も何日かあったね。
のぞくとグスクが「なー」って声がかすれて出ないんだけど口を開いてくれるのが可愛くてね。

くしゃみの連発、鼻水、目やにが出てた時は、グスクが死んじゃうじゃないかと思ってダンボールハウスで看病した。水にフラワーエッセンス入れたり、皮膚にレスキューやEMスプレーしたり。

そんな日々を過ごす中、私たちは親子みたいに仲良くなっていった。
グスクがそーっと私の膝の上に乗って、丸まって寝た冬の夜のことはあたたかい思い出だよ。
空も星も私もグスクもシーンと静まりかえって、「何も怖くないよ」ってグスクを包み込んで。ほんの20分くらいのことだったけど。

多くのノラネコが命を落とすと言われている風邪も克服し、暖かな春を迎えられたのに、グスクは旅立ってしまった。私が旅行に行かなかったら、雨が降らなかったら、グスクがすぐ近くにいたことを気がついていれば、などなどたくさん考えてしまう。
知ってるよ、寂しさ、悲しみは私のエゴがそこにしがみついているからってことは。

グスク物語1

2016-04-15(金)

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今年の冬、グスクが過ごしたダンボールハウス。

2016年4月14日木曜日、グスク永眠。
と言っても、14日の朝に、グスクが家の前の葉っぱのベッドの上で動かなくなっているのを見つけたので、正確にはグスクがいつまで生きていたのかはわからないんだ。
12日の午後に家に帰ってきて、前日の13日は私はずっと熱で寝込んでいたから、いつものようには外をじっくりとは見ていなかったから。そして朝からスコールが続いていた。

まさかこんなに早くグスクとお別れがくるなんて、涙が止まらない。
別れの悲しみは、このずっと後だろうと、先だろうと、いつだって変わらないのはわかっているけれど。

グスクと庭で会う時、いつもグスクが「なー」って寄り添ってくるので、頭と喉元をゴロゴロ撫でて「グスク、今日も来てれてありがとうね。大好きだよ」って心から話していた。
本当にそう。この庭で出会った人一人、猫一匹の奇跡の出会いが、心のそこからありがたかったし幸せだったんだ。

だから、今、想像していた以上にグスク不在に胸がつぶれそう。
庭にでればグスクがいた場所を目で追ってしまう。
植物のお手入れをしていれば、いつもとなりに座って一緒に観察。
夕日を一緒に眺めたブッロク塀。
グスクが時々眠っていた草むら。
グスクのお気に入りの日向。
洗濯するのを覗いてきた屋根の上。
いつも登場する木製の柵。
一緒に座った縁側。
グスクの食器。
ドアを開けた時の横切るグスクのしっぽ。

この庭は何もかもがグスクじゃないか。
ここに引っ越しきて丸4年。
最初は時々、庭を横切るネコの一匹だった。
台所のドアの前であんまりにもお行儀よくこちらを見ているので、時々あげるようになったご飯。
そして半年くらい前からほとんど毎日来るようになった。
ある夏の日、グスクが鼻水、くしゃみ、涙目で、やせ細ってフラフラで庭にいた時から、私たちの関係は密になっていったんだ。

冬至とグスク

2015-12-22(火)

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この3か月の間で、グスクとの仲良し度がぐんぐん上がってきた。
最初は身体をそっとなでられるようになって、
そのうち頭や喉元をしっかりとよしよしできるようになった。
するとグスクから、身体をすり寄せてくるようになった。
つい数日前からは、座っていると膝に乗ってくるように。

「にゃー」って目があうと、お互いに顔を寄せ合って挨拶もする。

一昨日は、夢にも出てきた。
グスクのことを夢の中で治療していたんだ。
グスクは身体にノミがいるようで、いつもかゆそうにグルーミングしているのが気になっていたから。
気のせいか、翌日少し良くなっていたみたい。

不思議だね、うちのペットでもないのに、
この庭で出会ってもうすぐ4年。心は通じ合っているみたい。
こうして冬至の夕日を、グスクと一緒に眺めている。

同じ時を過ごせることの奇跡。
家族も、友だちも、グスクも、サブレも、アップルズもかけがえのない仲間なんだ。

ねえ、グスク

2015-07-31(金)

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今朝、グスクが庭にやってきた。
梅干しを干すザルの上に座っている。

そう、グスクはザルの上に座るのが好きだったね。
薬草とか染料とかほしていると、グスクがいつのまにか上にすわっていて、いつも困っていたんだ。

グスク失踪事件のあと、グスクとの関係も少し変わったような気がする。
グスクはわたしが思っているより、自立した存在だと認識するようになった。

過保護だった親が、子どもの家出騒動のあとに
「子どもには子どもの人生がある。
転んでも、穴に落ちても、この子の自由だ。
この子の自由意思がなによりも大切で、
それをすこし離れたところからいつも見守っていよう」
とか思うような感じ(あくまでも想像ね)。

グスクも以前みたいに庭にいりびたることもなく、
ごはんを食べると颯爽と去っていく。
Have a niceday Gusuku!