コニーに捧げる詩

2017-08-10(木)

「私の可愛い白ウサギを、少しの間、あなたに貸し与えましょう」と神は言われた。

「あなたが、彼を生ある間愛し、彼が死んだら嘆き悲しむために。
12、13年間になるかもしれません。あるいは3年に満たないかもしれません。
それでも、私が彼を呼び戻すまで、私に代わって彼の世話をしてくれますか?」

「彼は愛嬌を振りまいてあなたを楽しませ、たとえ彼の滞在が短くとも、
彼の素晴らしい思い出があなたの悲しみを和らげるでしょう。
すべては地球からここに戻ってくるので、彼がずっとあなたのところに留まると約束することはできません。
でも、地球上でこのウサギに学ばせたいレッスンがあります」

「世界中を見渡してこれにふさわしい教師を探し、人生行路に群れを為す多数の人の中からあなたを選んだのです。では、あなたの愛をすべて彼に与えてくれますかーこの務めを無駄だと思わないで。
そして、彼に再び呼び戻すことになっても私を憎まないでください」

彼らが「あなたの意志が為されますように」と言うのが聞こえたような気がした。
このウサギが喜びをもたらしてくれるからこそ、私たちは悲嘆と言うリスクを冒すのも顧みないのだ。
私たちは、そうできる間は、優しさと愛を彼に注ごう、私たちが知っている幸せのために、永遠に感謝を込めた滞在のために。

私たちの計画よりもずっと早く天使が彼を迎えに行くことがあっても、来るべき痛恨の悲哀に立ち向かい、理解するように努めよう。

ー詠み人知らず

コニー「ぼくは愛の天使さ」

2017-08-04(金)

今日はコニーがお空に帰って四十九日目。
昨日まで東京にいて、数日前に数えてそれがわかったんだけどね。
今日はコニーの想い出にどっぷりつかろうと写真を並べて祭壇を作った。
リモーネにも協力してもらってね。

イキイキと輝くコニー。
生きていることが楽しくてしょうがない。
あふれだす喜び。命の長短は関係ないと教えてくれた愛の天使。

コニーは、うさぎと暮らす楽しさを教えるためにこの世界にやってきたんだって。
一緒にいたのは1年と3か月だけど、完璧に役目を果たしたと自信を持っている。
コニーは私のお手本だよ。

祇園祭り、そしてかき氷

2017-07-22(土)

ついに見た、祇園祭りの山鉾行列!
前夜の八坂神社での儀式を思い出す。長刀鉾は主役なんだね。

京都だけど、東京の友だちと再会。
東山から早足で歩いて、お目当ての茶房へ。


あー、涼しくて生き返る。


このイチゴかき氷の美味しさったら!季節限定だから、また8月に食べに来ちゃおうかな。

北欧の人たちと夏の京都

先に沖縄をたったデンマークファミリーを追いかけて、気温36度の京都へ。
宿の近くにみつけたコニー(うさぎ)神社。
これもコニーのお導きか。ありがとうコニー。

宿は友だちと、その同伴者しか泊まれないという素敵な隠れ屋。
なんだかお寺の中にいるみたい。

旅の目的は、初めての祇園祭り。
祇園祭りに来たはずのデンマークファミリーは、祭りのメインの日の朝に京都を立つという不思議。
膨れあがった荷物は大きな大人二人が乗って圧縮したよ。


京都ではなにかとお世話になったMKタクシー。礼儀正しい運転手さん。

夢で会える

2017-07-20(木)

コニーが去ってから一ヶ月が経った。
ふとした時にコニーがいないのを思い出し寂しくなる。
昨夜も眠る前に「コニー会いたいよ、夢に出てきて!」と心の中で話しかけたら、
1羽のうさぎが夢に出てきた。
あれはコニーだと思う。元気に飛び跳ねたり、走りまわったりしていた。
でも、毛の色がコニーとちょっと違う。コニーはオレンジブラウンだけど、夢の中のうさぎはもう少し落ち着いたブラウン。

コニーが今度生まれかわるなら、あんな色になるのかなとぼんやり思った。
京都で見つけたうさぎ神社で「コニーにまた会えますように」って願ったけれど、きっと叶う気がする。

北欧の人たち、市場で餃子を食す

2017-07-13(木)


ここはまるで台湾の夜市みたい。
ナンナンは焼き餃子が気にいったようだ。


父ちゃんと娘乾杯。アジアな背景に、北欧の二人。


首里はちょうど「サガリ花」が満開。
みんなで香りをすいこんだ夏の夜。

伊江島へ

2017-07-08(土)

デンマークからのお客さま

2017-07-06(木)

ついに来た!!デンマークロイヤルファミリーが。
まずは首里城の芝生で逆立ちの練習だよ。
北欧の人たちにとって、沖縄の気候は正反対のはず。

昔から半分外人のような姉。いきなり頭に乗る気さくな(失礼な)リモーネ。

夢で会う

2017-06-29(木)

眠る前に「コニー、夢に現れて!」とお願いしたら、ほんとうに現れてくれた。
タン、タン、タンと畳を走る足音が、はっきりと耳に残っている。
夢の中のコニーはまだ本調子ではなく、走り終わった後横になるコニーを癒すように何度も撫でた。

夢というのは幻の場所ではなく、眠っている間に訪れることができる生と死の境界線のない世界だと思っている。
だから、そこにはグリとグラもいるし、グスクもいるし、コニーもいるんだ。

手のひらから砂がこぼれるように去っていったコニー。
思い出すひとつひとつのコニーの仕草が愛しくて泣けてくる。

人はどうして、あの時に戻りたいとか、愛しく思い出して悲しくなるのかな。
過去、今、未来、すべての瞬間にあの子はいるのに。

小さな永遠

2017-06-25(日)

西加奈子さんの小説「まく子」を2週間くらい前に読んだ。
そこには、いつかは終わる粒の集まりのこと(身体や目に見えるもの)、永遠に消えないもの(魂)のことが、とってもよく描かれていてすごく感動したけれど、今はその言葉がより心にしみる。

「ぼくの命と言う小さな永遠は絶え、でもいずれみんなの大きな永遠に受け継がれてゆくだろう。
体が朽ちても、心臓が止まっても、ぼくがみんなである限り、ぼくの「ぼくたる所以」はずっと消えはしないのだ。
ぼくはそれを知っている。
粒を交換しながら、朽ちながら、永遠に残るぼくら」

「いつか死ぬことを運命づけられた、そして自分の体の粒を何かに与えることが出来る、優しい生命体だった」

宇宙から「人間」を経験しに来たコズエは、身体が変化していくことや、ものごとが移り変わっていくこと、いずれ消えてしまうことを「だから美しい」という。

器を抜け出したコニーの魂を感じてみる。
風の中に、雨音の中に、私をつつむ空気の中に。
まだ上手に感じることはできないけれど、すこしずつ見つけられたらいい。